佐倉の堀田さんを訪ねて(佐倉城址公園)

ここは千葉県佐倉(さくら)市にある広大な公園。今回、私はこのお殿様に会いに来たのです。

まだまだ新しいこの銅像は、平成18年(2006年)の完成。
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この方は、幕末の混乱期の老中堀田 正睦(まさよし)公。

ペリー来航後、江戸幕府を揺るがす開国問題のまさに渦中にいたお方でした。

そして、この堀田正睦公の銅像のすぐ隣に建っているのがこちらの銅像です。
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米国初代駐日総領事タウゼント・ハリス氏の銅像。

平成20年(2008年)の完成。つまり、安政5年(1858年)の日米修好通商条約締結のちょうど150年後の年でした。

日米の外交の黎明期、両国の当事者であったお二人の銅像が並んでいるのは、千葉県佐倉市の佐倉城址公園です。

ここ佐倉城は、江戸幕府の譜代大名堀田家の居城。江戸防御の東側の拠点として重要なお城でした。
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堀田正睦は、この下総佐倉藩の藩主からキャリアを積み上げ、老中首座へ登り詰めたのです。

今は、佐倉城址公園となっていて、千葉県唯一日本100名城でもあります。

広大な緑の公園には、こんな空堀の跡があったり。
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土塁の跡があったりします。
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佐倉城は、江戸時代初期の慶長15年(1610年)から、2代将軍徳川秀忠の側近、土井利勝(としかつ)によって築造された平山城。石垣一切用いず、地形を活かした水堀、空堀、土塁で守りを固めたとのこと。
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江戸城近郊の城として、石垣を積み上げるのはあえて遠慮して避けたのかもしれません。

こちらの本丸跡も、今では芝生が広がるただの緑地。
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お城の遺構は残るものの、建築を再現したものは基本的にありません。まさしく、広々とした城跡です。

本丸跡の奥には、天守台の跡。ここに三層の天守閣がそびえていたわけです。今は、本当に跡だけ。
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だから、ちょっと物足りなさを感じてしまいます。

歴代藩主の20名のうち9人が、幕府の老中になっている格式の高いお城であったはずなのに。

この佐倉城に当時のお城の面影がほとんど残っていないのには、実は理由があります

それは後程ご説明しますね。


ところで、よく見ると天守台跡の隣には、こんな立派な木が
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これは「夫婦モッコク」と呼ばれている2本のモッコクの木が交わったもの。
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市の天然記念物になっています。少なくともこの木は江戸時代からここに生えていたはず

こんな木を見ながら、かつてのお城の情景に思いを馳せます


さて、佐倉城址公園を進んでいくと、突然大きな近代建築が現れます。
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ここは、かつてのお城の椎木曲輪(しいのきくるわ)と呼ばれた侍屋敷跡。現在、ここには国立歴史民族博物館があるのです。
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愛称は、歴博(れきはく)

佐倉市のゆるキャラカムロちゃんも歴博の宣伝に使われています。
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ちなみに、このカムロちゃんは、佐倉城に住んでいたと伝わる妖かし(あやかし)をイメージしているそうです。

それにしても、本当に立派な博物館です

内部もフラッシュを使用しなければ撮影可です。
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いや~、本当に素晴らしく充実した模型や再現品の数々。古代から現代に至る日本の歴史の流れを切り取って、リアルに表現しています
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東京のど真ん中にあってもいい程の博物館。 質・量ともに充実の展示で驚かせられます

「なんでここにあるのか」と思ってしまうくらい。ゆっくり回ると、丸一日はかかってしまうでしょう。

そんな展示物の中で、このコーナーに釘付けになりました

これは、昭和初期の佐倉城の航空写真
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今は広い敷地に歴博の建物以外は緑ばかりの佐倉城址公園に、コンクリートの建物がぎっしりと密集して並んでいます。今とは全く違う様相です

実は、戦前までこの佐倉城の跡地には、帝国陸軍歩兵第2連隊(歩兵第57連隊)の駐屯地があったのです。

まさに関東地方における戦争の一大拠点であったのです。ここに歴史の暗い影があったこと、正直知りませんでした。

戦後、この地にあった陸軍施設一切撤去されたのです。あとかたもなく、、、。

だからこそ、江戸時代のお城の建築がほぼなくなってしまったのは当たり前なんですね



ところで、この佐倉城を少し離れて、もう少し堀田正睦公の足跡を辿ってみました。

こちらは、麻賀多(まかた)神社。佐倉の総鎮守(ちんじゅ)。
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本殿と拝殿は、天保14年(1843年)に堀田正睦公による造営だそうです。

ちょうど天保の改革が行き詰まり老中一旦辞任して、地元の佐倉藩主として専念し始めた頃でしょう。

そして、堀田家の菩提寺、甚大寺(じんだいじ)にも。
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ここには、佐倉藩主堀田家の墓所があり、千葉県の指定文化財になっています。
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堀田正睦公は、佐倉藩主として蘭学を奨励し、先進的で開明的な人物だったはず

ペリー来航後、開国派として幕政の中核にカムバック

安政3年(1856年)、篤姫の輿入れの際、篤姫に配慮して自らの名前を正篤(まさひろ)から正睦(まさよし)に改名

安政5年(1858年)には、日米修好条約勅許を得に京都へ赴き、朝廷との交渉に尽力。

正睦公は、基本的に優しく和を重んじる性格だったのではないかな~。そんなふうに思っています

その年、開国問題条約勅許の問題将軍継嗣問題といった難題を抱えながら、突如大老に就任した井伊直弼によって失脚させられる。

どんなお気持ちだったのでしょうか

更に、翌年には横浜開港、2年後には井伊直弼の暗殺を知り、蟄居処分のまま元治元年(1864年)に死去

こちらが、堀田正睦公の墓所
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おそらく当時の幕府で、開国の必要性を一番理解していたお方だったのでしょう。

開国の推進を咎められたまま、明治維新を見ることはありませんでした

今、ひっそりと堀田正睦公進遠之碑が建っていました。
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そんな堀田家の墓所にすぐ近くには立派な今風の家があって、「堀田」という表札がかかっていました。

佐倉の堀田さんは、現代でもこの地に居を構えているのですね~。




最後は、佐倉城跡に建つ国立歴史民族博物館レストランで食べた一品をご紹介。

古代米ハヤシライス。文字通り、古代米を使ったハヤシライスだそうです。ランチで頂きました
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さすが、歴博。レストランのメニューにも歴史を感じさせる素材を使っているのですね。


次回に、続きます





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この記事へのコメント

2013年10月25日 22:52
こんばんは。
石垣のない佐倉城は知りませんでしたが珍しいお城だったのですね。
歴史上の人物像が並んで、本人たちはあの世で何を思っているでしょう?
モッコクはこんなに大きくなるのですね。
我が家は2階のベランダと並ぶくらいで主人が好きな木で、意味なくブログ名にしております。
航空写真と比べると公園になっているのはほっとします!
カムロちゃんは元気があって可愛いですね。
古代米ハヤシライス、美味しそう(*'▽')
HT
2013年10月26日 00:25
こんばんは。
へぇ~と云う感じで読ませていただきました。何時も本当にわかり易く解説されていて感心してしまいます。私がもしもよく知っていることだったとしてもこんな風にはかけないです。素晴らしいです。
今は何もない公園みたいになってしまっているのですね。お城のあった処ですから、かなり広いところなのでしょうね。緑がとても綺麗ですね。
2013年10月26日 01:06
こんばんは。

コメントいただきましてありがとうございました。
堀田正睦じゃないですか~。
そうか、佐倉はは堀田家の居城だったんですね。
いいですね~。
行ってみたいです。
歴博、めっちゃ行きたいです。
歴史好きなので、萌え萌えです。
2013年10月26日 06:42
広い土地ですね。芝の広さがとても広く感じます。
当時の造成は人力でしたでしょうから、多くの人の
力があったのでしょうね。
それを基盤に、色々使い方も変化してきたのですね。
古代米のハヤシがなんともユニークです。
2013年10月26日 12:08
歴博はお気に入りで、
今までに二度行ってますが、
佐倉城址や堀田家の墓所の事は
全く知りませんでした。
ミクミティさんにとって、幕末の歴史を
偲ぶ事の出来る絶好の場所ですね。
日米通商条約によって、
ミクミティさんの地元・横浜も
発展の足掛かりをつかんだ訳ですが、
長く不平等条約に苦しめられた
歴史もあり、この時代に生きた方の評価は、
なかなか複雑なものがありますね。
2013年10月26日 12:51
みっちゃんさん、早速のコメント有難うございます。

モッコクという木をじっくりと眺めたのは、やっぱりみっちゃんさんのブログを拝見しているからです。正直、コメントを期待していましたよ
佐倉城は今ではそれ程の名所ではないかもしれません。でも当時は有力譜代大名の拠点として幕府にとって非常に重要なお城だったはず。そんな思いを持って訪れました。
かつて陸軍の駐屯地だったことは知らずに。
本当に歴史の移り変わりを感じました
今ではカムロちゃんがいる平和でのどかな場所ですから。
2013年10月26日 12:58
HTさん、早速のコメント有難うございます。

記事をお褒め頂き嬉しいです。私自身にとっても分かりやすく記録しておきたいと思っているんです。
江戸幕府の重要なお城が近代の陸軍の拠点になって、今は広大な公園と歴史博物館になっている。凄い移り変わりだと思います
緑一杯の城跡でした
2013年10月26日 13:06
トトパパさん、早速のコメント有難うございます。

幕末の混乱期の老中として歴史に登場する堀田正睦。井伊直弼の足跡を辿る中で、堀田正睦にも近づいてみたいと思いました。関東を拠点とした老中ですし。
更に歴博にはビックリ 歴史好きなら丸一日いても飽きないと思います。じっくり見るのには数日かかるかも
また訪れてみたいです。
2013年10月26日 13:10
ゆうさん、いつもコメント有難うございます。

佐倉城は盛り上がった地形を上手く活かした立派なお城だったと思います。幕府の東の拠点として重要な意味を持っていたでしょう。
ここに軍の駐屯地と施設が置かれ、今は広大な公園と歴史博物館になっているのが時代の移り変わりですね。
古代米ハヤシライス、結構美味しくて、歴史の味がしました
2013年10月26日 13:19
yasuhikoさん、いつもコメント有難うございます。

歴博へ2回ですか。それも良く分かります。近くにあったら私も何度でも足を運びたくなります。素晴らしい博物館ですね
堀田正睦はこの佐倉の地で開国への思いを募らせていったのだと思います。歴史的には阿部正弘と井伊直弼の間にはさまれて影が薄くなりがちですが、当時の海外情勢や開国の必要性を誰よりも理解していたような気がします。
開国の末、明治維新後の文明開化の様子を少しだけでも見られたらよかっただろうに、と思ってしまうのです
2013年10月26日 15:40
これは歴史好きのミクミティさんにはたまらない訪問でしたね。歴史がいっぱい詰まっていて、またその変遷にも歴史があり、感じるものの多い訪問でしたね。最後には古代米で歴史を丸のみ、胃袋まで歴史に酔いしれました。
フラッシュなしなら撮影可、こういうところは時にありますね。ところがコンデジでオートになっていて発光してしまい、困っている人をときどき見かけます。綺麗に撮れていますね。
モッコクも驚きました。この木は私の経験では成長の遅い木だと思いますが、これだけになるにはどれだけの月日を見ていることでしょう。そうですね、江戸時代からずっと世を見続けてきた証人ですね。
2013年10月26日 16:30
先ほどから青空が・・・・やれやれ。
古い城下の町並みが残っていて楽しく散策にはいい所。
私はアヤメの咲く梅雨のシットリとした時に、脳梗塞をした友とゆっくり散策をし、あちこち沢山は歩けませんでしたがこの街を楽しみました。
拝見して城址までも行けませんでした。、
今度はと・・・。
ここもリベンジしたいです。知らない街は楽しいですね。有り難う。
2013年10月26日 16:46
篤姫に配慮して名前を正篤(まさひろ)から正睦(まさよし)に改名。
↑このことからも、穏やかで優しい方であっただろうと想像できますね。「睦」の文字を選んだところにも優しさが滲み出ている感じがします^^
古代米ハヤシライス、洒落てるなぁ♪
開国に伴い色んなドラマが生まれたのだろうなと改めて思い、歴史の魅力を感じる記事でした☆
ありがとうございました^^
2013年10月26日 17:00
こんばんは。
今は広大な公園になっていても歴史的な目で見るといろんなことが分かってきますね。
理屈だけでなくその地に立つことが大事だと再認識しました。
一人じゃこんなこと出来ないからミクミティさんに案内されたら有意義だろうなと毎回思います。
逆に私の山行も写真より素晴らしいから皆さんいって下さいとのつもりですが案内してくれたら行くみたいな人も多いでしょうね。
黄昏龍
2013年10月26日 17:49
今日は~
地域毎に、名物・名誉殿様はいるもんですね・・
故郷に思いを寄せてみると、自分が知らない
だけなのかも知りませんが、江戸期は??です。

神武天皇の知名度を超える人物が
登場しないのが残念です。
やはり県民性なのですかね??

当地のゆるキャラについては何故?という思いが
あるのですが、古代米ハヤシライスの発想には
脱帽です。
2013年10月26日 18:36
こんばんは!
佐倉市と言えば長嶋茂雄さんの出身地ということぐらいしか知りませんでした。
立派なお城があったのですか。
開国を進めたために蟄居させられた堀田正睦公と米国初代駐日総領事タウゼント・ハリス氏の銅像が近くに建っている今、お二人はどんなことを話しているでしょうね。
開国は時代の流れだったのでしょう。
このような歴史があって、今の日本があるのですね。
いろいろと考えさせられました。


2013年10月26日 19:53
こんばんは。
佐倉城趾、歴史散歩、堪能させて頂きました。何時もながらに詳細な記事に思わず釘付けになってしまいました。城趾に建物が一切無かった理由は戦争にあったわけですね、戦争が無ければ、建物の一部は残っていた事を思えば残念でなりません。
2013年10月26日 21:25
茜雲さん、いつもコメント有難うございます。

関東にある城下町の一つ、佐倉はやはり様々な歴史を持つ町でした。そこのお殿様に会うことができたような気がしました
歴博は見応えたっぷりで、撮影OKなのがまた良かったです。レストランでは幾つか古代米を使ったメニューがあって何となく歴史を食べているような気がしました
佐倉城のモッコクは見事で、ずっとこの地の歴史を見てきたような風格がありました
2013年10月26日 21:38
baisaさん、いつもコメント有難うございます。

千葉の城下町、佐倉にいつか行ってみたいと思ってました。譜代大名堀田氏の居城。戦前は陸軍の駐屯地だったとは。やはり様々な歴史が見つかりますね。その集大成が歴博でその規模と質にびっくりしました
ここのレストランで食べられて良かったです
2013年10月26日 21:41
千葉県民でありながら、全然知りませんでした~~。といっても生粋の千葉県民じゃないので許してね^^でも佐倉にこんな立派なお城があったんですね。堀田氏、名前は聞いた記憶がありますが、詳しいことはほとんど知りませんでした。いつもながら詳しく説明していただくので、本当に歴史のことがよくわかります。ありがとうございます。
2013年10月26日 21:53
明美歌さん、コメント頂き本当に有難うございます。

そうなんですよ、堀田正睦は穏やかで優しかったんじゃないか。だから京都での交渉は苦戦したのでは。そして剛腕の井伊直弼が登場した。色々と想像してしまいます
開国時に歴史ドラマの主役の一人。その結果に気の毒に思ったりします。
古代米のハヤシライスに、歴史を味わっているような気になってました
2013年10月26日 22:23
tamiさん、いつもコメント有難うございます。

確かに実際に行って見て、知ることや感じることって多いと思います。それなりに下調べもするのですが、いつも初めての場所には、初めての発見があって考えさせられます。
ちょっとした遺構や石碑で歴史に思いを馳せるのも楽しいものなんですよ
tamiさんのブログや写真で、山登りにはぐいぐい惹かれていますよ
2013年10月26日 22:32
黄昏龍さん、いつもコメント有難うございます。

故郷は宮崎でしたね。延岡藩があったと思いますが。お隣の薩摩藩が強大で存在感がありすぎましたね。
今や日本全国、どこにでもユルキャラがいるようで時々とまどうことがありますね
歴史博物館のレストランのメニューが古代米を使った料理の数々。確かになかなか粋だなと思いました
2013年10月26日 22:41
うふふさん、いつもコメント有難うございます。

「佐倉市と言えば長嶋茂雄さん」、その通りです。私もその記憶を持って佐倉に出かけました
ここは譜代大名の堀田氏のお膝元。今でも堀田氏の地盤なんだと思いました。
蘭癖と言われた堀田正睦、実際は賢く心優しい人だったのではないかと想像します。歴史的には、弱腰で優柔不断の幕府の象徴のように言われてしまいますが、実像はそうでもなかったのではないかと個人的には思っています。
一大覚悟を持って開国を進めたのでしょう
ハリスの銅像と並んでいるのが何とも微笑ましく感じるんですよね~
2013年10月26日 22:53
毎日日曜人さん、いつもコメント有難うございます。

記事を褒めて頂き光栄です。興味を持って読んで頂けなら私も嬉しいです
お城の建造物が残っていないのは、明治の初めに破壊され、更に陸軍の駐屯地になったから。お城から軍の駐屯地になる例は全国でも幾つかあったと思います。
それでも残念な気がしてしまいます
今は、非常に立派な国立の歴史博物館が建っているのが、何か特別な場所のように感じるのです
2013年10月26日 23:09
かるきちさん、いつもコメント有難うございます。

千葉県の佐倉市、名前は知っていましたが訪れるのは私も初めて。成田空港へ行くときに通り過ぎていたのですね。やはり様々な歴史があることがあらためて分かりました。江戸時代は譜代大名堀田氏の地元。江戸に近いこの地は大事な場所だったのだと思います
私も色々と歴史を知ることができて嬉しかったです
2013年10月27日 08:05
おはようございます。
ミクミティさんにとっては、このお殿様へは、一度や二度の面会では済まされない場所のようですね~、近くに歴博までありますから・・・(笑)
歴史の勉強が足りなかったロボットにとっては、幕末から開国までの歴史の一端を楽しく学ぶことが出来ました。(^^♪
正義感に燃えた人が日陰の身となることが間々あるという悲しい歴史も、ここ佐倉には埋まっているんですね。(ーー;)
佐倉城も明治維新後の廃城令の影響を受けたのでしょうか!、、面影がないのは残念ですね~。
我が地元の川越城は、本丸御殿だけ残されていますが、学校として利用したことで取壊しを逃れたそうです。
歴博のレストランメニューが歴史を感じさせる素材というのも、粋な感じですね。(^^♪
2013年10月27日 09:07
この歴史民族博物館、近かったら通い詰めてるんじゃないかと思うくらい行きたいです。
特に気になったのは前方後円墳の周りに家が建っている模型。
その古墳はどの辺りになるのでしょう?
それにしても 沢山あった歴史ある城は、明治になってからおざなりな扱いを受けてきたのかと思うと腹立たしくなる時があります。
維新は歴史的な流れから必然だったとしても あまりにも敬意がなさ過ぎる。
そんな事をつらつらと考えてるのにハヤシライスが出てくると、そちらの方に思考が変わるのがボクの悪いクセなのか…それも食べてみたい。
2013年10月27日 13:59
ロボットさん、いつもコメント有難うございます。

佐倉は関東では数少ない城下町。ただその名残はほんのわずかです。歴博が日本全体の歴史を総まとめしていますが。横浜から結構遠いのですが、是非また行きたいと思っています。印旛沼も近いので。
佐倉城も廃城令のもの破壊されてしまったようです。実は私も川越を思い浮かべていて、せめて一部だけでも建造物が残っていればなと思ってしまいます。
古代米のメニューが洒落た感じの歴博レストラン。ここでランチを食べられて良かったです
2013年10月27日 14:07
おーちゃんさん、いつもコメント有難うございます。

国営の歴史民族博物館、本当に充実した博物館です。立体模型が素晴らしいと思いました。古墳模型は確か箸墓古墳だったと思います。
江戸近郊の城下町。明治に入ったら東京に近いお城は廃城令に完全に従わざるを得なかったのかもしれません。更に陸軍がこの地に置かれ、、。残念です
そんな時代の移り変わりがあって、今、歴博で古代米ハヤシライスが食べられるのは幸せでもありますね
2013年10月27日 22:35
千葉にはよく行きますけど…佐倉の城跡には出向いたことがありませんでした。
建物がない跡地からもミクミティさんは歴史に思いを馳せて、素晴らしいですね!
樹木だけは残っていて、歴史の証ですね。。
2013年10月28日 14:05
佐倉の城跡、今は何もないところにいろいろな歴史が合ったのですね~。ミクミティさんの説明はいつもながら分かりやすくてなるほどと思いながら拝見しました。幕末にはそれぞれの立場で国を思った人がいて、昭和には陸軍の駐屯地になっていて、。今は昔の感がありますね。
2013年10月28日 14:31
今日は。
全く知らなかったお城なのでご一緒させていただき、
納得いたしました。
石垣を使わない平城・・・地形を活かして水堀、空堀、土塁…先人はの知恵は凄かったのですね。
モッコク…天然記念物、見事でしょうね。
千葉県以西の温暖な地域にに生育…
そんな記載が見つかりました。
千葉県が限界なのでしょか!
古代米…美味しいでしょう!
2013年10月28日 14:51
こんにちは

歴史にとても疎いですがミクミティさんの記事は丁寧で楽しみながら読み進めていけるので好きです。
今、この二人の銅像は何かを話し合っているのではと思ってしまいます。お城があった跡地ですから広い敷地なのでしょうね。夫婦モッコク、ずっとここで元気に生き続けて欲しいです(^^)
まだそちらも紅葉が進んでいないようですね、緑が綺麗です。
2013年10月28日 20:56
komichiさん、いつもコメント有難うございます。

佐倉は成田へ行くときに通り過ぎるだけ。今まで訪れることはありませんでした。関東では数少ない城下町。
江戸時代ここに大事なお城があったと思うと、歴史の移り変わりを感じます。今ではそこに大きな国立の歴史博物館があるのですから。
樹木も何かを語っているかもしれませんね
2013年10月28日 21:02
ポン太さん、いつもコメント有難うございます。

分かりやすいと言って頂けると嬉しいです。自分でも記憶に残るように簡潔に書いているつもりです。でも、思い込むとつい長くなってしまいます
江戸時代の譜代大名のお城が、明治に入り陸軍の駐屯地になり、現代では国立の歴史民俗博物館になっている。歴史の移り変わりに色々と感じるものがあります。
その思いを記憶に残しておきたかったので
2013年10月28日 21:07
やろいさん、いつもコメント有難うございます。

佐倉城は全国的にはあまり知られていないお城かもしれません。それでも、江戸時代は江戸に近く老中を多数出すお家のお城。重要な拠点であったのは間違いありません
そのお城の名残がほんの少しだけ残っています。歴史の寂しさも感じますね~。
モッコクの木はそんな佐倉の歴史をかなり見てきたんでしょうね
2013年10月28日 21:13
だるまさん、いつもコメント有難うございます。

私の記事で楽しんで頂けたなら大変嬉しいです
そうなんですよ。佐倉城址公園に建つ2人の銅像から様々な想像が湧きたちます。実際にこの二人は会ったことがあったのかなかったんじゃないかと思います。
でも、お互い思いを通い合わせていたような気がします。
当時のお城の様子があまり残っていないので、夫婦モッコクはずっと長く残っていて欲しいですね
2013年10月31日 22:25
石垣のないお城 なるほど徳川さんに遠慮したって訳ネ

博物館、縄文土器もいっぱい出土してますやん。
古代からの歴史深い場所なんですね
2013年11月03日 00:20
柿ろんさん、またまたコメント有難うございます。

そう、江戸の将軍家に遠慮したのかと思いました。
更に明治の廃城令の時には明治政府に従順になってお城を破壊したのだと思います。やはり東京から近いですからね。
歴史博物館は立派ですよ
但し、ここは精巧なレプリカや模型の再現が多いのです。多分縄文土器もレプリカだと思いますよ

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