飯盛山から見えたもの
手をかざし遠くを眺めている石像。ちょっと、ユーモラスにも見えますが、小柄な武士の姿。確かに、目は悲しそう。
そうなんです。これは会津若松の飯盛山(いいもりやま)にある、白虎隊士の石像。
ここ飯盛山の中腹から、南西の方角を見た景色がこんな感じです。
山に囲まれた、普通の市街地ですよね。
それもそのはず、ここは人口13万人の会津若松市の中心部。
でも、もっともっとズームで拡大していくと見えてきます。
中央のポールの向こうにあるのが、鶴ヶ城。ちゃんと、分かりやすいようにポールが建ててあって、気が利いてます。
でも、今から約145年前の慶応4年(1868年)8月23日(新暦では10月8日)には、もっともっとお城は見えづらかったでしょう。
既に、西軍の進攻に籠城戦で対抗するため、城外の屋敷は既に焼かれていた
。もうもうと煙が立ち込めていたはず。でも、鶴ヶ城はまだ落ちていなかった。
そこで、白虎隊士の悲劇が起こるのです
。
ここがその、白虎士中二番隊の20名が自刃した場所。今、ここには白虎隊殉難士各霊塔や冒頭の石像が立っています。
会津の悲劇を日本中、いや世界にまで知らしめた白虎隊の運命の地ですね。
ご存じ、飯盛山(いいもりやま)。ここで、麓から見た山の全景をどうぞ。
会津若松へ来たら、やはりここを訪れなくては。歴史好きとしては、当然のこと。
山の麓からは、階段で、と言いたいところですが、ほとんどの人が右側にあるエスカレータ(スロープ・コンベア)で登ります
。昔々に来た時、エスカレーターなんてあったかな、と思いつつ。
エスカレータを登りきって少し歩いた所にあるのが、白虎隊十九士の墓。
彼らは、みんな16~17歳。今なら高校生の青春真っ盛りの世代。
やはり非常に切ないですね
。
高校生世代の若者が、皆で話し合って自ら死を選んだという精神が心を揺さぶります。
「敵に捕まるという屈辱は、主君や祖先に申し訳ない。これば武士の本分だ。」 そういう武士道の精神が会津に強く根付いていたのでしょう。
この白虎隊十九士の墓の周囲には、白虎隊士を偲ぶ数々の石碑や塔が建ち並びます。
中でも、外国人による石碑があるのには感じ入ります。白虎隊の精神は、多くの外国人にもうったえかけたのですね。
こちらは、昭和10年に建てられた、ドイツの外交官フォン・エッツ・ドルフ氏寄贈の碑。
その他、ローマ記念碑などがあります。
それから、白虎隊士の墓に眠るのは19名
自刃しようとした白虎士中二番隊は20名
もう1人は
、ということになります。
こちらは、自刃した20名の中で、唯一蘇生した飯沼貞吉(いいぬま さだきち)の墓。
昭和6年、77歳まで生きました。彼が、白虎隊の悲劇を後世に伝えた人物です。
しかし、彼は生涯会津には戻らず、仙台で生涯を終えています。様々な葛藤があった人生だったでしょう。お墓がここ飯盛山へ建てられたのは、昭和32年(1957年)の戊辰戦争90周年の時だそうです。
更に、ここには会津各地で戦った他の白虎隊士31名のお墓も、後に拡張され併設されています。
ここで自刃した白虎隊士達が、後の世になって他の旧会津藩士や領民を集める力を持っているような気がします。そして、現代の観光客も
。ある意味、凄いパワーです
。
そして、ここ飯盛山にある史跡や名所を散策。
これが、重要文化財のさざえ堂。
こちらは、白虎隊引き揚げの洞門(戸ノ口堰洞穴)。
この洞穴を、彼らは通ってきたわけですね。
それぞれ見学して、山を下りました。
麓にある、白虎隊記念館。
素朴な展示ながら会津戊辰戦争や白虎隊士、更に旧会津藩士の活躍に関する見応えのある内容でした。
私が語るまでもなく、飯盛山は白虎隊の運命の地。その若く尊い精神が、今でも残っているようでした。
ところで、飯盛山の登り口は、両側は食事処やお土産屋さんが並びます。
看板にあるこんなオブジェを見ていると、悲劇を通り越して、白虎隊士への地元の人たちの愛着を感じます
。
私も、そのうちの一つ。会津ソース串かつのお店で、腹ごしらえをしました。
戦後の名物ですが、美味しかったです
。
最後に、言い忘れましたが、来年(2013年)お正月の「新春ワイド時代劇(テレビ東京)」は、「白虎隊 (敗れざる者たち)」です。
主演は、北大路欣也さん、黒木瞳さん。会津藩家老職、西郷頼母(たのも)夫妻を演じます。その他、豪華出演陣。
2013年は、この新春ワイド時代劇と大河ドラマと、大型テレビドラマは会津から始まりますね
。
1月2日の7時間番組
今年は久しぶりに見るかな~
。
そうなんです。これは会津若松の飯盛山(いいもりやま)にある、白虎隊士の石像。
ここ飯盛山の中腹から、南西の方角を見た景色がこんな感じです。
山に囲まれた、普通の市街地ですよね。
それもそのはず、ここは人口13万人の会津若松市の中心部。
でも、もっともっとズームで拡大していくと見えてきます。
中央のポールの向こうにあるのが、鶴ヶ城。ちゃんと、分かりやすいようにポールが建ててあって、気が利いてます。
でも、今から約145年前の慶応4年(1868年)8月23日(新暦では10月8日)には、もっともっとお城は見えづらかったでしょう。
既に、西軍の進攻に籠城戦で対抗するため、城外の屋敷は既に焼かれていた
。もうもうと煙が立ち込めていたはず。でも、鶴ヶ城はまだ落ちていなかった。そこで、白虎隊士の悲劇が起こるのです
。ここがその、白虎士中二番隊の20名が自刃した場所。今、ここには白虎隊殉難士各霊塔や冒頭の石像が立っています。
会津の悲劇を日本中、いや世界にまで知らしめた白虎隊の運命の地ですね。
ご存じ、飯盛山(いいもりやま)。ここで、麓から見た山の全景をどうぞ。
会津若松へ来たら、やはりここを訪れなくては。歴史好きとしては、当然のこと。
山の麓からは、階段で、と言いたいところですが、ほとんどの人が右側にあるエスカレータ(スロープ・コンベア)で登ります
。昔々に来た時、エスカレーターなんてあったかな、と思いつつ。エスカレータを登りきって少し歩いた所にあるのが、白虎隊十九士の墓。
彼らは、みんな16~17歳。今なら高校生の青春真っ盛りの世代。
やはり非常に切ないですね
。高校生世代の若者が、皆で話し合って自ら死を選んだという精神が心を揺さぶります。
「敵に捕まるという屈辱は、主君や祖先に申し訳ない。これば武士の本分だ。」 そういう武士道の精神が会津に強く根付いていたのでしょう。
この白虎隊十九士の墓の周囲には、白虎隊士を偲ぶ数々の石碑や塔が建ち並びます。
中でも、外国人による石碑があるのには感じ入ります。白虎隊の精神は、多くの外国人にもうったえかけたのですね。
こちらは、昭和10年に建てられた、ドイツの外交官フォン・エッツ・ドルフ氏寄贈の碑。
その他、ローマ記念碑などがあります。
それから、白虎隊士の墓に眠るのは19名
自刃しようとした白虎士中二番隊は20名
もう1人は
、ということになります。こちらは、自刃した20名の中で、唯一蘇生した飯沼貞吉(いいぬま さだきち)の墓。
昭和6年、77歳まで生きました。彼が、白虎隊の悲劇を後世に伝えた人物です。
しかし、彼は生涯会津には戻らず、仙台で生涯を終えています。様々な葛藤があった人生だったでしょう。お墓がここ飯盛山へ建てられたのは、昭和32年(1957年)の戊辰戦争90周年の時だそうです。
更に、ここには会津各地で戦った他の白虎隊士31名のお墓も、後に拡張され併設されています。
ここで自刃した白虎隊士達が、後の世になって他の旧会津藩士や領民を集める力を持っているような気がします。そして、現代の観光客も
。ある意味、凄いパワーです
。そして、ここ飯盛山にある史跡や名所を散策。
これが、重要文化財のさざえ堂。
こちらは、白虎隊引き揚げの洞門(戸ノ口堰洞穴)。
この洞穴を、彼らは通ってきたわけですね。
それぞれ見学して、山を下りました。
麓にある、白虎隊記念館。
素朴な展示ながら会津戊辰戦争や白虎隊士、更に旧会津藩士の活躍に関する見応えのある内容でした。
私が語るまでもなく、飯盛山は白虎隊の運命の地。その若く尊い精神が、今でも残っているようでした。
ところで、飯盛山の登り口は、両側は食事処やお土産屋さんが並びます。
看板にあるこんなオブジェを見ていると、悲劇を通り越して、白虎隊士への地元の人たちの愛着を感じます
。私も、そのうちの一つ。会津ソース串かつのお店で、腹ごしらえをしました。
戦後の名物ですが、美味しかったです
。最後に、言い忘れましたが、来年(2013年)お正月の「新春ワイド時代劇(テレビ東京)」は、「白虎隊 (敗れざる者たち)」です。
主演は、北大路欣也さん、黒木瞳さん。会津藩家老職、西郷頼母(たのも)夫妻を演じます。その他、豪華出演陣。
2013年は、この新春ワイド時代劇と大河ドラマと、大型テレビドラマは会津から始まりますね
。1月2日の7時間番組
今年は久しぶりに見るかな~
。

















この記事へのコメント
飯盛山案内図を拝見して思い出しています。
>手をかざし遠くを眺めている石像・・・
自身で描いていた印象と違っていた事を覚えています。
>白虎隊の悲劇を後世に伝えた人物…
想像を絶する葛藤の中を生きぬかれたのでしょうね。
さざえ堂…思い浮かばないのです(笑)
ところで数年前飯盛山に行ったとき、地元の小学生が遠足に来ていました。先生は、白虎隊十九士の墓の前で子どもたちにどんな話をしていたのだろうか、今ふと思い出し、興味が沸きました。
私は、前にも書きましたように、桜の花の撮影スポット探しに一生懸命で歴史にはあまり関心がありませんでした。こうしてブログを拝読して、興味が湧いてきましたが、さてもう一度出かけられるかな。
白虎隊は日本の誰もが知っている悲しくも切ない悲劇ですね、しかしその精神は無意識のうちに多くの日本人の心に引き継がれ今日の日本を造る礎になっているのではないかと感じています。外国の方による記念碑も有るとは感激です、貴重な記事を拝見し、有り難く思いました。
飯盛山もさざえ堂も懐かしく拝見しました。
20年前にもエスカレーターはありましたが、その時は不似合いだと思いました。
年を重ねると楽で良いなあと感じます。
お城は燃えてないのに、燃えている様に見えて自決した少年たちは哀れで無念ですね。
最近の会津名物は串かつですか?
昔はみそだれが付いた田楽でしたが?
白虎隊記念館は行ったことがありませんが面白そうですね。
白虎隊のお話は流石に私でも知っています。あまりにも可哀そうと云うか哀れな話ですよね。でも凄いことですよね。今の若者に(私も)そんな精神あるのかなって思ってしまいます。
素敵なご案内を何時もありがとうございます。
実は私もこの石像はちょっとイメージと異なります。顔立ちが日本人離れしているようで。平成3年の建立ですからね。
飯沼貞吉の人生は確かに想像を絶する葛藤があったでしょうね。ただ一人生き残ったということで非難もされたでしょうし。ここ飯盛山にお墓を作ってもらって良かったんだと思いたいです。
さざえ堂は江戸中期の建築。入口と出口がダブらない面白い構造ですよ。
恥ずかしいですが飯盛山に登ったことがあるのかないのか記憶にありません。
山形県人なら訪れる人が多いのですが。
ミクミティさんの足跡を辿る旅しなければ。
石像は鶴ヶ城の方を向いています。お城の様子をうかがって仲間とどうするか真剣に議論したんだと思います。その結論が自刃だったのです。
その若者たちの精神と人生を思い、現代でも大勢の人が訪れるというのは凄い力だと感じてしまいます。
やはり心を打つ物語、いや事実ですからね。
来年は年初からドラマで取り上げられますよ。まずはテレビで見てはいかがですか?
若く純粋な武士道の精神。それを高校生世代の若者が持っていたといのが心震わせます。日本人だけでなく海外の人からも称えられるというのが嬉しい気がしますよね。
記事をしっかりと読んで頂き感謝いたします。
20年前もエスカレータありましたか?私が行ったのはおそらく30年位前。全く記憶にありません。
白虎隊の物語、いつになっても泣かせるものがあります。
ところで会津のグルメはまた別途紹介したいと思います。現代のご当地グルメ、どんどん新しいものが登場していますね。
白虎隊の精神。やはり高校生世代の若者が自ら集団自決しようと潔さ。凄いものを感じます。やはり永遠に語り継がれる物語ですよね。
とはいえ、やはり悲しいことです。現代はこういう必要がない社会になっていると信じています。
いつも読んでい頂き、感謝しています。
飯盛山へは行かれているのではないですか。おそらく小さい頃。私はそうなんです。でも、親に連れられて来た時とは全く違う感想を持つものです。当たり前ですよね。
tamiさんの活動に少しでも刺激を与えることができたなら光栄です。ここは春の桜もきれいなようですよ。
飯盛山から鶴ヶ城がどう見えるか、
確かめに行かれましたね。
白虎隊の少年たちの気高い志は、
今も人の胸を打つものがあります。
ただ「敵の捕虜になるくらいなら…」
という言葉は、大戦末期にも
繰り返され、犠牲者を出した事を思うと、
ちょっと複雑な心境になります。
飯盛山での集団自決は辛い話ですね。
若い命が消えていくのはいつの時代でも残酷です。
子供の頃、クラスメイトに剣舞を習っている女の子がいました。
学芸会には、この石像の少年と同じ姿で詩吟に合わせて「白虎隊」を舞いました。
何度も見ていたので、知らず知らずに詩吟の始めの「南鶴ヶ城を望めば砲煙上がる~♪」を覚えて、今でもその部分だけは歌えますよ(笑)
やはり、額に手をかざして遠くを見るポーズがあったのを思い出しました。
幾たびの試練と
栄光の歴史を抱えて
会津は再び
光を浴びますね
美意識を感じます
実は私、子供の頃にここへ来たことが会って、その時お城が見えたかどうか覚えてなかったのです。だから今回はしっかり写真に撮ろうと思っていました
「敵の捕虜になるくらいなら…」、確かに考えさせられますね。お互いが分かっていなかったから。現代ではこういうことはないと信じたいです。
白虎隊の悲劇は永遠に語り継がれていくのでしょうね。やはり会津へ来たらここで現場を見て、お墓をお参りしたくなります。
剣舞や詩吟でも、白虎隊は広く歌われていたのですね。なるほど。「額に手をかざして遠くを見るポーズ」は普遍的なんですね。
2013年初めは会津のドラマから始まります。是非ともまた輝いて欲しいですね。栄光と試練の歴史。やはり、繰り返していくものですかね。
まずはドラマを見て楽しむことにしたいと思います
ブログでリハビリができるとイイですね。
本当にお大事にして下さい。早く退院できるといいですね。
白虎隊の悲劇、確かに切ないです。その精神力は、今や伝説ですね。地元も彼らの力で盛り上がろうとしている気がします。来年はテレビでそれを感じられると思います
わずか16歳くらいの何も知らない世代の子が主君のため、自らの武士道のために命を落としていったこと。
でも 命を賭してもかまわないほどの主君であったと言うことなのかもしれませんし…。
ボクたちの不幸は 命を賭してもかまわないと云うほどの人が側にいないことなのかもしれません。
案外それが一番健全なんですけども。
そうだったのですか~!
この人のその後の一生は誰にもわからないほどの葛藤があったことでしょうね。。
でも彼が生き残ったことで、後世に伝わったということもあるのですから彼の生涯は決して虚しいだけのものではないのかもしれません。
会津武士の誇りとは、なんとも切ない限りではあります。
たった16.7歳の少年が集団で自決するなんて本当にむごく悲しい話です。唯一人蘇生して77歳まで生きたという人の人生はどうだったのでしょう。時代も変わるし人の考え方も変わりますよね。人に話せない葛藤があったことでしょうね。
なんど拝見しても楽しいご案内がうれしいです。
こうしてBlogにするとその時々の思い出の一つ一つが次から次えと現れてしまうのです。
旅行と言えば昔企業戦士の大宴会ばかり。それにバスの中で観光の時も酔っ払い。とても細かなものなぞ見ていなかった。そんな時代も有りました。
個人で行った時、初めて行った場所の感じさえした馬鹿馬鹿しさなど・・・。企業戦士時代 まったくっ!
いやいや また愚痴がでてしまいましたね。
何時も有り難う。
やはり会津藩での武士道の教育は徹底していたのだと思います。白虎隊がそれを広く日本国内から世界まで知らしめていると思うと、あらためて凄いですよね
とは言え、現代では、やはり命を賭してまで尽くすというのはないですよね
そうですよね。飯沼貞吉の生涯は本当に想像を絶します。でも、立派に名前を残しています。ここ飯盛山にお墓を設けられて本当に良かったと思います。
武士道を叩き込まれた会津藩士の結束が明治以降にも続いていたんだろうなと感じます。
唯一生き残った飯沼貞吉のことも、白虎隊記念館でじっくりと解説されています。やはり様々な葛藤があったそうで。生きている間は会津に戻ることはなかったそうです。本当に切ないですよね
そんな切ない歴史が共感を呼び、現代でも大勢の人がここ飯盛山へ惹き付けられるのだと思います。
さすがbaisaさん、かつてはバリバリの企業戦士だったのですね。よく伝わってきます。それに比べ、今の私はそれ程ではないでしょう。会社では勤務時間の短縮がいつも求められています。
いつも私の記事で楽しんで頂き、素敵なコメントを下さるのが嬉しいです
会津は魅力の街ですね!
ミクミティさんの素晴らしい白虎隊史話ですっかり
会津旅行の予習ができました。
新春ワイド時代劇も白虎隊ですか!
ますます新春は会津の年でになりますね
会津は室町・戦国・江戸の各時代に有力大名が東北の拠点として次々に治めた町。幕末になっても戊辰戦争の舞台になったところ。様々な歴史が駆け抜けていったのを改めて感じました
その中でも白虎隊は世界的にも知られているのですね。
私も久しぶりに新春ワイド時代劇を見ようかなと思っています