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zoom RSS 偉大な薩摩人達の聖地、城山公園、南洲墓地、福昌寺跡を訪ねて

<<   作成日時 : 2018/02/10 21:42   >>

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ここは鹿児島の城山。城山公園展望台からの眺めです。
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標高107m。今は鹿児島の有名な観光スポットですが、約140年前、ここは戦場だったのです。

それも日本の歴史上最後の内戦と言われる西南戦争の最後の戦いの場

現在の城山公園は、緑の原生林に覆われて、国の史跡および天然記念物に指定されています。
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明治10年(1877年)9月、この城山に残った薩軍はわずか370名余りだったそうです。山の周囲は何万もの官軍に包囲されていたとのこと。

ここで、彼らは最後の桜島を眺めたのでしょうか。そんなふうに思います。

そんな歴史的な場所に、こんな石碑が建っています。
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これは大正9年(1920年)、昭和天皇がまだ皇太子の時代に行幸された時の記念碑。左手には、昭和天皇お手植えのイチョウの木があります。

ここで若かりし昭和天皇は、日本最後の内戦に思いを馳せたのでしょうか。あるいは、つい6年ほど前(大正3年)に大爆発をした桜島の火山を観察したのでしょうか。色々と想像してしまいます

さて、官軍に包囲された西郷隆盛らが最後まで籠っていたのが、城山の中腹にあるこれらの洞窟。
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いわゆる、西郷洞窟。西南戦争の最後の5日間、ここで過ごして指揮をとったとのこと。

今この隣に、西郷隆盛の像が建っています。
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裏の洞窟には、「目で見る西南戦争始末記」三十六景展示場があって、当時の様子を現わした資料類が展示されていました。

その後、官軍の総攻撃が始まり、薩軍はその中を進軍。城山を下り始めたところ、西郷は腰と太ももに被弾し、最後は別府晋介の介錯のもと切腹したのです

知ってはいましたが、そんな場所を実際に散策するとしみじみとしますね。

それから、城山を離れバスに乗ってしばらく行ったところを訪れました。
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この階段、先日見たNHKの「鶴瓶の家族に乾杯」で、鶴瓶さんも登っていました。

南洲公園南洲神社へ向かいます。

その中央に広がるのは南洲墓地
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ここに、西南戦争で戦死した2000名以上の人々が埋葬されています。正面・左右にお墓が並び、凄い存在感です

その荘厳な雰囲気の中心に建つのが、西郷隆盛の墓所
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堂々たるその墓石は、周囲の薩軍の戦士達を今も率いているような感じがしました。

当時の政府に対して反乱した兵士たちの墓がこんなにも立派なのは、やはり特別な配慮があったからですよね。

土佐出身の当時の鹿児島県令、岩村通俊(いわむら みちとし)の嘆願が政府に受け入れられたとのこと。西郷隆盛を敬愛する人達が政府中枢にいたからだと思ったりします。

九州各地で戦死した兵士の遺骨も集められ、明治16年(1883年)までにこの地に埋葬されたそうです。

驚いたのは、南洲墓地に山形の庄内柿(しょうないがき)の木があったこと。
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庄内は私の父の故郷で、私も子供頃から庄内柿を食べていましたから、感慨深かったです。

戊辰戦争の際、朝敵とされた庄内藩への処分が寛大であったのは西郷さんの計らいがあったからと言われてますね。その後、庄内藩の人達の西郷さんに対する尊敬の念は高まり、旧藩主自らが鹿児島に直接教えを請いに訪れたほど。薩摩と庄内の特別な関係を、この柿の木が示しているようでした。

西南戦争に参加した庄内藩士の墓にも、綺麗に花が供えられていました。
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また、この南洲墓地の脇には、西郷南洲顕彰館(さいごうなんしゅうけんしょうかん)があります。
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西郷100年祭の記念事業として建設されたそうです。ここは、西郷隆盛の一生を解説するパネルや遺品などがビジュアルに展示されています。西郷さんの業績や思想にまとめて触れることがことができます。

それから、南洲公園の一角に広場がありまして。
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薩摩の伝統武術、示現流(じげんりゅう)の稽古が行われていました。

ここでも、NHK「「鶴瓶の家族に乾杯」で鶴瓶さん鈴木亮平さんが稽古に参加しているシーンがありました。

実は、ここからも桜島が見渡せるのです。
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西郷さんのお墓も、西郷さんを神として祀る南洲神社も、桜島を見つめるように建っているんだなと感じました。

ところで、私は翌日、偉大な薩摩人のもう一つの聖地というべき場所にも訪れました。

鹿児島城から見ると北西の地。福昌寺(ふくしょうじ)の跡です。
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あくまで跡で、お寺は残っていません。明治2年(1869年)の廃仏毀釈で廃寺なったとか。

福昌寺は島津家代々の菩提寺でした。その藩主を祀るお寺を破壊してしまうとは激しいなと思いました。

薩摩藩は明治維新を成し遂げた藩として、明治政府の政策を忠実に行ったからでしょうか。

ただ、現在は鹿児島玉龍高等学校となっている敷地の裏に、島津家の墓所が史跡として残っています。
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ここに島津第6代から28代の当主とその一族が埋葬されています。

その内部の荘厳な雰囲気に圧倒されました。
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おびただしい数の墓石。室町時代初期からのお墓が並んでいます。

緑の苔むす敷地に雨がしとしとと降っていて、身が引き締まるような神聖な空気を感じました

こちらは、第25代当主にして、薩摩藩第8代藩主の島津重豪(しげひで)公の墓。
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長期間にわたって藩政の実権を握り、蘭学に傾注し数々の開明的な政策を行った藩主として有名です。

曾孫の斉彬公にも大いに影響を与えたとされています。お墓の面積も広くなっています。

こちらは、第18代当主で、薩摩藩初代藩主の、島津家久(いえひさ)公の墓。
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関ケ原で戦った、有名な島津義弘(よしひろ)公の三男。

関ケ原の合戦後、存続の危機にあった島津家でしたが、この家久公が徳川家康に直接謝罪したことで所領を安堵されたそうです。その後、薩摩藩の基礎を作ったのです。そんな歴史の転換期のお殿さまでした。

その比較的近くに、第28代当主で、第11代藩主の島津斉彬(なりあきら)公の墓。
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左側は、正室の英姫(ふさひめ)のお墓です。

言うまでもなく、薩摩藩の名君であり開明的な藩主として現在でも圧倒的に有名で愛されているお殿様ですね。

今回、大河ドラマ「西郷どん」で演じるにあたり、渡辺謙さんもお参りされたのではないでしょうか。

本当に、この福昌寺の島津家墓所は、島津家の偉大な歴史を肌で感じる神聖な場所だなと思いました。私などただ圧倒され、、、。幾つかのお墓に手を合わせました。
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ところで、この墓所の中心に位置し、最も広い面積で、最も格式高く威厳のあるお墓は、この鳥居の先にありました。

しかもその方は、島津家の当主でも藩主でもありません。斉彬公の弟の島津久光(ひさみつ)公です
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国父として幕末の薩摩藩を引っ張り、明治維新へ大きな貢献をされたからでしょう。

現在では、今一つ斉彬公の影に隠れるイメージですが、このお墓の存在が歴代の島津家の中で久光公がどのように評価されていたのかを感じてしまいます。
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豪胆で実行力のある、カリスマ性のある指導者であったと思います。

大久保利通
小松帯刀を取り立てたり、京都に自ら進軍したり、寺田屋事件で藩士を撃ったり、江戸まで軍を連れて幕政改革をし一橋慶喜を将軍後見職に導いたり、英国人商人を生麦で殺害したり、イギリスと海戦を行ったり交流したり、参預会議(さんよかいぎ)四侯会議(しこうかいぎ)を実現させたり、最終的に武力討幕の軍を進めたり。などなど。

江戸時代を終結させるため圧倒的な指導力を発揮したと思います。

一方で、明治政府の革新的政策には絶えず反対していたとか。まさに初期の明治政府が最も恐れた人間は、やはり島津久光公であったことでしょう。
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だからこそ、久光公は、明治政府から最大限の配慮を受け、途中から内閣顧問に任命されたり、左大臣公爵従一位といった最高の位を与え続けられたのです。更に、明治20年(1887年)の死去にさいしては国葬がとり行われました。

西郷隆盛や大久保利通が亡くなった10年後だったのですね。日本で2番目の国葬だったそうです。

そんな当時の歴史にあらためて思いを馳せました。



最後に、こんなふうに偉大な薩摩人の聖地を訪問して薩摩の歴史をたっぷり味わった後は、やっぱりお腹が空きますね。

急に俗っぽくなって恐縮です。

お昼は、鹿児島の名物、黒豚とんかつ定食。
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夜は、鹿児島出身の同僚お薦めの郷土料理のお店、「さつま路」を訪れました。
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鹿児島の繁華街の、天文館にあります。

私が選んだのは、コース料理の大久保膳。もっと量が多くてお高いのが、西郷膳島津膳。そういうことなのですね

とは言え、美味しいさつま揚げきびなご、などなど。
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西郷さんも好きだったという、豚骨を美味しくいただきまいた。
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鹿児島では、お料理にも偉大な薩摩人の名前がついているのだなと思った次第です。





秋の鹿児島旅行。観光スポットをまとめた私のレポート、よかったらご覧下さい。

1.「西郷隆盛銅像と展望ホール・K10カフェ」 ⇒ こちら
2.「薩摩の歴史ロード・維新ふるさとの道と下加治屋町」 ⇒ こちら
3.「秋の仙巌園の菊と尚古集成館」 ⇒ こちら
4.「旧鹿児島紡績所技師館(鹿児島の異人館)」 ⇒ こちら
5.「桜島ショートトリップ(サクラジマ アイランドビュー)」 ⇒ こちら
6.「城山公園、南洲墓地、西郷南洲顕彰館、福昌寺跡」 ⇒ こちら
7.「知覧武家屋敷と知覧特攻平和会館」 ⇒ こちら
8.「指宿の海岸、魚見岳、知林ヶ島、白水館」 ⇒ こちら
9.「開聞岳、長崎鼻、西大山駅、池田湖」 ⇒ こちら
10.「秋の霧島神宮の鳥居」 ⇒ こちら



Shiroyama, Nansyu Park and Fukusyo-ji, Kagoshima, Japan

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コメント(46件)

内 容 ニックネーム/日時
こんばんは。

城山、私も行きましたよ。
西郷さんが自決したところですね。
私は、桐野利秋が好きです。
人斬り半次郎です。
トトパパ
2018/02/10 23:55
城山という名を聞くと今でも
胸がキューンとなります。
『晋どん、もうここらでよかろう・・』
どうしてもその場面が浮かんできます。
久光さんはどうしても?あのお由羅さんの子だから、という思いがありますからね〜
複雑な思いが入れ混じります。
カゴッマと言ったら、やっぱい黒豚ですね。
それとさつま揚げですかね。
天文館に行ったら無邪気のシロクマですね。
夫もキビナゴが大好きです。酢味噌?
せごどん。ますます楽しみになりました。
nobara
2018/02/11 09:31
西郷さんが戦った地が 今は 
天然記念物に指定される 美しい公園に
変わり 親しまれているんですね。
歴史に 関心のない私は 城山公園には
行きましたが 銅像の前で写真を撮り
トンカツを 食べた記憶しか ありません。
いい勉強をさせて頂きました。
フラバーバ
2018/02/11 10:11
城山から眺める桜島美くしいです。(生憎雨で半分隠れていました)そして小さな洞窟に5日間も匿っていたのですね。
西郷さんのお墓には同じ方が毎日お花を活けに来られるようです。久光公のお墓の立派さに驚きました。ドラマの久光公からは想像できませんが。
黒豚や薩摩揚げ、きびなご等美味しい食べ物をいただき、
示現流の稽古風景もご覧になられて鹿児島の隅々まで素晴らしい旅ですね。大河の見方も楽しくなります。
みなみ
2018/02/11 14:25
こんにちは!
城山公園は西郷さん最後の地、今では天然記念物になって綺麗に整備され、親しまれているんですね。
「鶴瓶の家族に乾杯」見てましたので、そうそうそうだったと思いだしながら拝見しました。
久光公は当主、藩主でなくても島津家にとって手腕を発揮された方なんですね。どうしても斉彬公ばかりが目立ってしまいますね。
鹿児島はやはり西郷さんですね。又ゆっくりと歴史の地を巡りたいと思いました。
これからの「西郷どん」ますます楽しみです。
黒豚とさつま揚げ、良いですね。
eko
2018/02/11 14:36
この間の家族に乾杯でこの場所放映されていましたね、私は歴史には全く理解のない人間なのですが、こういう苔むしたお墓の姿や灯篭に歴史の長さを感じてしまいますね、私にとってNHKの家族に乾杯や、ブラタモリと新日本風土記などは旅の情報収集の番組になっています、
fujisan
2018/02/11 15:56
城山公園からの桜島が素晴らしいですね。
西南戦争は明治10年370名の薩摩軍が官軍とたたかったのは140年前なのですね!?
明治生まれの舅姑と暮らして居りました。
南洲公園には2000名のお墓があるそうですね。
島津家の墓所は別にあって、11代藩主は28代当主の斉彬、
弟の久光のカリスマ性で、明治政府樹立に貢献したのですね。
1本の「庄内柿」があり、ミクミティさんの父上の故郷での戊辰戦争を思い起こさせるつながりが見つかり、感無量ではなかったでしょうか!?
ミクミティさんの分かりやすい親しみが持てるご紹介で、無学のバーみっきいも、大河ドラマ「せごどん」の見方が変わりそうです・・・。
みっきい
2018/02/11 18:11
こんばんは。
歴史的な場所はあらかじめ知識としてあれば現地で想像力とあいまって感じるものがあるでしょうね。
私はブラタモリしか見ないもので家族に乾杯にも登場したのですか。

島津斉彬くらいしか知らないので単なる一大名ではなかったのですね。
tami
2018/02/11 19:26
幕末の頃の歴史が一番苦手ですが、ミクミティさんのブログを読ませていただくと、歴史がすっと頭に入ってきます^^ありがとうございます。でも歴史上の戦いの場所を訪れるとこの場所で、と感慨深いものがありますね。
かるきち
2018/02/11 19:33
どれも歴史をたっぷりと感じさせてくれるものばかりです。読む人をひきつける記事ですばらしいですね。
その時代がよみがえってくるかのようです。
おいしそうなお料理の数々、見せていただいてありがとうございます。
はるる
2018/02/11 20:23
維新政府を導いた大久保、西郷の
両雄が、敵味方に分かれて戦った
西南戦争は、鹿児島の方たちにとって、
心痛む戦いだったろうと思います。
今も残る洞窟遺跡が、哀れを誘いますね。
示現流の稽古の場面、NHK/BS
『世界ふれあい街歩き』の鹿児島編でも
放送されてました。
yasuhiko
2018/02/11 20:59
島津久光がそういう人物だったという事、初めて知りました
斉彬の大きさの陰で西郷さんとも対峙して今一つ人間的に人気がない気がしていました。
驚きでした。
コマダム
2018/02/11 21:27
トトパパさん、早速のコメント有難うございます。

今回は歴史を感じる史跡巡りの記事。鹿児島にはそういった場所が多いですよね。
桐野利秋がお好きですか。南洲墓地の西郷隆盛のお墓の隣に眠っていました。
ミクミティ
2018/02/11 21:30
こんばんは。
行ったことのある所や知らない所もありまして、詳しく解説して戴きましてありがとうございます!
天文館の薩摩路は訪れた事があり、薩摩料理が色々食べられていいですね!
次女が玉龍高校に入学しまして一学期だけでまた広島に転勤になりました。
裏に島津家の墓所があったとは知りませんでした。
みっちゃん
2018/02/11 21:47
nobaraさん、早速のコメント有難うございます。

城山は鹿児島の方にとって特別な場所でしょうね。観光地でもあり悲劇の史跡でもあるわけですね。
島津久光はやはり西郷さんとの関係が悪かったことが現在の印象を作っているような気がします。お由羅も悪女のイメージ。歴史は印象で認識されることがありますね。
黒豚にさつま揚げ、キビナゴは酢味噌と唐揚げで頂きました。
ミクミティ
2018/02/11 21:49
フラバーバさん、早速のコメント有難うございます。

そうですね、城山は日本の最後の内戦地。そう思うと重要な歴史的な場所だなと思います。
そこからの桜島の眺望は本当に素晴らしいです。
銅像の前で写真を撮って、トンカツを食べる。私もやりましたよ。
ミクミティ
2018/02/11 21:53
ここを訪れればやはり西南戦争での人々に想いを寄せてしまうでしょうね。
剣道をやっていた頃、示現流の方々の稽古を見学する機会があり、チェストーの掛け声に驚かされたことがあります。大学で空手道部に入部して空手道を始めた頃、「空手バカ一代」と言う古いマンガを読み、主人公がチェストーと叫んで技を繰り出すのにビックリしました。空手のどの流派もチェストーとは叫びませんから。
島津久光については、私は薩英戦争を終息させて英国と良好な関係を築き、先進文化や技術を導入していった手腕を特に買っています。良いときはイケイケドンドンでも行けますが、苦境の時にそれを良い方向に変えるのは誰にでもできることではないですからね。
降魔成道
2018/02/11 21:56
みなみさん、コメント有難うございます。

城山から眺める桜島の風景は鹿児島のシンボルという感じがしますよね。そこが日本最後の内戦の地というのも不思議な感じがします。
南洲墓地も福昌寺も薩摩の聖地だと思いました。
島津久光は今後、大河ドラマでどんなふうに描かれるでしょうか。やはり西郷さんの敵のイメージでしょうね。
薩摩の歴史とともに伝統武術を見て郷土料理も味わえて、お陰様で充実した旅となりました。
ミクミティ
2018/02/11 22:01
ekoさん、コメント有難うございます。

城山公園は絶好の展望の地で観光地ですが、歴史上重要な場所でもありますね。
南洲公園も薩摩の歴史を語るうえで大事な場所。「鶴瓶の家族で乾杯」に出てきて嬉しくなりました。
福昌寺では島津久光公のお墓の大きさに驚きました。ドラマではどんなふうに描かれるのかにも興味があります。
薩摩の郷土料理をたっぷりと食べられてよかったです。
ミクミティ
2018/02/11 22:08
こんばんは!
城山公園から見る桜島も味わい深いですね〜☆わずかな郡勢でこの森にこもって見た風景と心情はどんなものだっただろうか…と、当時に想いを馳せました。
今は原生林という文章を読んで、自然の中に戻っていったような気もしています。
歴史に詳しい方の旅から学ぶことも多く、ありがとうございます。
komichi
2018/02/11 22:15
fujisanさん、コメント有難うございます。

自分の行ったことがある場所が、テレビに登場すると嬉しくなりますね。特にわりと最近なのでじっくりと観てしまいました。
確かに、私も「鶴瓶の家族に乾杯」や「ブラタモリ」や「新日本風土記」を見て旅行のイメージを描くこともありますね。そういう場合は録画しておきますが。
ミクミティ
2018/02/11 22:18
みっきいさん、コメント有難うございます。

城山公園は観光スポットでもありますが、西南戦争の戦場でもあるのですね。そう思うと複雑な気がします。
南洲墓地に行くとそういう気持が益々高まります。悲しい歴史も感じました。そして、庄内柿には驚きました。
島津家の墓所がまた非常に荘厳な所で身が引き締まりました。本来庶民が入れる場所ではなかったでしょうから。
ブログを分かりやすく親しみがわくと言って下さるとうれしいです。
ミクミティ
2018/02/11 22:24
tamiさん、コメント有難うございます。

そうですね、私の旅のテーマは歴史を感じることでもあるので。その現場へ行ってしみじみと思う時があります。
鎌倉時代から続く島津家は本当に名門です。その荘厳な墓所に足を踏み入れ身が引き締まりました。
ミクミティ
2018/02/11 22:27
かるきちさん、コメント有難うございます。

幕末の歴史は複雑で変化が激しく確かに難しいです。だからこそ面白味もありますが。
そんな現場に行って思いを馳せることができて嬉しかったです。鹿児島には感慨深い場所が多かったです。
ミクミティ
2018/02/11 22:30
はるるさん、コメント有難うございます。

重い内容の記事だったと思いますが、すばらしいと言って頂けると非常に嬉しいです。確かに歴史をたっぷりと肌で感じました。
更に伝統の料理を食べると嬉しさが増えますね。
ミクミティ
2018/02/11 22:32
yasuhikoさん、コメント有難うございます。

そうですね、西南戦争は鹿児島の人にとって悲しい悲劇的な戦争だったと思います。その思いは今でも残っていらっしゃるのではないでしょうか。
西郷と大久保が戦い、久光が中立であった歴史をしみじみと感じます。
示現流の掛け声は凄いですね〜。それも肌で感じました。
ミクミティ
2018/02/11 22:36
コマダムさん、コメント有難うございます。

島津久光は現代人の中ではあまり人気が高くないですよね。やはり西郷さんとぶつかって、ネガティブに描かれるからでしょう。
でも、史実を見ればその功績は本当に大きかったと思います。今後もっと評価される時代がくるのではと思っています。
ミクミティ
2018/02/11 22:40
みっちゃんさん、コメント有難うございます。

さつま路は地元の方にも有名なのでしょうね。薩摩の郷土料理を食べるならと鹿児島出身者に薦められました。美味しくいただきました。
娘さんが玉龍高校だったのですか。それはそれは。島津家の歴史に触れことはあったのでしょうかね。
ミクミティ
2018/02/11 22:44
降魔成道さん、コメント有難うございます。

城山公園から西郷洞窟や終焉地を散策すると、ここが戦場であったことが少しずつ思い起こされます。もちろん今は全く平和的な雰囲気ですが。
示現流の方々の掛け声は凄いインパクトですね。私も目の当たりにして驚きました。
島津久光公のお墓の大きさを見て、これまた驚きました。確かに歴史的功績は非常に大きかったとあらためて思った次第です。
ミクミティ
2018/02/11 22:51
komichiさん、コメント有難うございます。

城山公園の桜島の眺望は本当に素晴らしいです。そこが日本の内戦の最後の場所だったことも感慨深いです。そんなことを現場で思い浮かべました。
しっかりと私のブログを読んで頂き有難うございます。
ミクミティ
2018/02/11 22:55
こんにちは

天皇陛下の外出を「行幸」と言いますが
皇太子でもそういう表現を使ったのですね
大正天皇の名代だからかな
無門
2018/02/11 23:30
島津久光が当主でも藩主でもなかったことに驚いています。
斉彬よりずっと前から名前は知っていましたので。
この辺りの歴史に詳しくないので、ミクミティさんの記事がとても参考になりました。ちょっと勉強しようかなという気になりました。
その昔、初めて食べた鹿児島のさつま揚げがとてもおいしかったのをよく覚えています。
コスモス
2018/02/12 09:04
こんにちは。
西郷隆盛が官軍と戦った場所やその経緯について、更に島津家の明治維新における役割について詳しい解説を読ませて頂き、成る程と思いました。昨夜の西郷どんのテレビも見ました。斉彬公に認められて行く物語を楽しみにしています。黒豚とんかつ定食は美味しそうです。
華の熟年
2018/02/12 11:55
無門さん、コメント有難うございます。

鋭いご指摘ですね。皇太子のご訪問に関しては、「行幸」ではなく「行啓」と言うのが普通なのですね。ただ、石碑には行幸記念碑と書かれていました。
天皇陛下になられてからの記念碑だからでしょうかね。
ミクミティ
2018/02/12 12:09
コスモスさん、コメント有難うございます。

島津久光は歴史上大きな役割を果たしたと思いますが、現在ではあまり人気がないような気がします。今回、お墓を見てあらためてその偉大さを感じました。
鹿児島で食べた揚げたてのさつま揚げは、とっても美味しかったです。
ミクミティ
2018/02/12 12:13
華の熟年さん、コメント有難うございます。

薩摩藩の歴史的に場所に訪れ、資料館や記念館の史料に触れたりすると歴史に対する理解が深まりますね。本で読んだだけではない、肌で感じる何かがあると思います。
「西郷どん」で島津久光がどのように描かれるかにも興味を持っています。
黒豚のとんかつ定食は、やっぱり定番で美味しいですね。
ミクミティ
2018/02/12 12:20
維新のとき、あの頃に多くの方が無くなっています。
もしも、生きていたら、明治はかなり違っていたのでは?
ひょっとすると、今の日本も大きく変わっていたのかもしれない。
なんて・・・思ったりします。
とても残念ですが、今の日本の基礎にもなっているのですから
仕方ないのかもしれません。平和であれば、それで良しですね。
ゆう
2018/02/12 14:44
ゆうさん、コメント有難うございます。

確かにそうですね。幕末維新の時代に多くに命が道半ばで失われていますが、その中でこの人が生きていたらと思うことがあります。色々と考えてしまいますね。
そんな偶然や運命も含めて歴史なのかなと思います。時代の転換期がここにあったのは間違いないです。
ミクミティ
2018/02/12 15:16
桜島や市内を見渡すことが出来
西南戦争の最後の激戦地で
史跡も点在しているのですね
歴史に弱いのですが
拝読して色々わかりました
ジュン
2018/02/13 11:50
お墓といえばお盆を連想しますが、
歴史愛好家の方々は、
お墓を見て当時の勢力や存在感などを
しのばれるのですね。目からウロコです。
今の平和な日本は激動の時代を経て、
確立されたことを実感できる素敵な記事です。



ROKO
2018/02/13 22:01
ジュンさん、コメント有難うございます。

そうですね、鹿児島には桜島が見える史跡が幾つもあります。おそらく昔の人も同じ風景を歴史的な瞬間に眺めたのかなと思います。
ミクミティ
2018/02/14 20:59
ROKOさん、コメント有難うございます。

そうですね、大名や歴史上の人物のお墓は史跡になっている場合が多いです。福昌寺もそうですね。それは歴史の印でもあると思います。
確かに最後の内戦場所は、日本史の一頁だと思います。
ミクミティ
2018/02/14 21:17
城山はなんというか生々しい史跡で、僕も訪れたときに洞窟の思ったよりの狭さに、ちょっと暗たんとした気持ちになったものです。
藩主の菩提寺を壊してしまうとは徹底していますね。
廃仏毀釈は明治政府のおこなった最大の愚策と思いますが、薩摩はそれを推進していた立場上そうせざるを得なかったのでしょうね。
黒豚さぞおいしかったことと思います。
家ニスタ
2018/02/19 18:34
家ニスタさん、コメント有難うございます。

城山も史跡であり天然記念物、日本最後の内戦の場としてやはり後世に伝えていきたいですね。
福昌寺の跡を見て、墓所しか残っていないことに凄まじい歴史を感じました。明治の激動はやはり革命だったのですよね。
ミクミティ
2018/02/19 21:59
慶喜公は岩倉具視、西郷隆盛や大久保利通よりも長命だったのは何故だったんだろう…ッと考えたことがあります。
また島津久光公も同じく長命。
或る意味 慶喜公も久光公も実は歴史の流れの中を自然に通ったからじゃないかと思うのです。
慶喜公の(毀誉褒貶あれど)引き際と、久光公の監視能力があったからこそ、明治という時代が平和に移行出来たのかと。
まァ慶喜公と久光公が性格的に合うとも思わないんですけどネ。
廃仏毀釈…やっぱり無茶苦茶です。
おーちゃん
2018/02/21 01:02
おーちゃんさん、コメント有難うございます。

そうですね、歴史上の人物の人生の長さに思いを馳せることがありますね。もし、この人がもっと長く生きてたらと思いますよね。
確かに徳川慶喜公は大正時代まで生きた訳で、激しい歴史の変遷を体験されたのでしょうね。
島津久光公と一橋慶喜公、私としては慶喜公の方がまず嫌ったのではないかと想像します。実際はどうだったのでしょうね。
ミクミティ
2018/02/22 22:00

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偉大な薩摩人達の聖地、城山公園、南洲墓地、福昌寺跡を訪ねて 「歴史の旅&外出」の記録/BIGLOBEウェブリブログ
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